花火の【起源と歴史】をご紹介!作り方や海外の花火との違いとは?

夏はいろいろな行事があります。

お祭りだったり、お盆を迎えたりと何かと忙しい夏ですが、なんと言っても毎年恒例と言っていいほど見る人は多いのではないでしょうか。

それは花火です。

花火は日本でも愛され、あちこちの地域で花火を上げますし、花火を題材とした楽曲も多数ありますよね。

 

どの人にも感動を与える美しくロマンチックな花火ですが、今回は花火大会の有名な場所などではなく、花火のちょっとした小話を紹介します。

 



花火の起源と歴史

皆さんは花火の起源や歴史をご存知でしょうか?

中には日本発祥と思っている人もいるのではないでしょうか。

しかし起源を辿ってみると・・・

実は日本より先海外が発祥

と伝えられているようです。

 

○花火の起源

花火の起源については諸説あるようですが、古代中国の狼煙(のろし)が花火の起源となっているのではないかと言われています。

ご存知の人もいるかと思いますが、狼煙は遠くにいる人に自身の存在等を知らせる為の煙による通信手段でした。

次第に火薬の技術が発達し、これか花火のルーツになったと伝えられています。

 

○花火の歴史

花火の歴史はヨーロッパと日本では異なります。

それぞれ分けてご紹介します。

 

◇ヨーロッパ

花火がヨーロッパに伝わったのは13世紀以降と言われています。

伝わってきて最初のあたりは煙に色をつける他、祝砲の音を大きくしたりしたそうです。また花火の生産国は主にイタリアとされており、火薬や花火を製造をしていました。

 

鑑賞用の花火が作られるようになったのは14世紀で、イタリアのフィレンツェで行われるキリストの祝祭で用いられていたようです。

因みにこの時使用されていた花火は、人形の口から花火を吐き出すような形だったそうです。

 

また16世紀には水上花火を楽しんだという記録もあります。

こちらはイングランドで花火の技術が向上し、王室の結婚式や戴冠式などの行事がある際にテムズ川で水上花火などを打ち上げたそうです。

1532年にはヘンリー8世が王室軍隊の花火師を徴用する為に規則を定めたとも言われています。

 

17世紀に入ると花火の技術はさらに進み、スウェーデンやポーランド、デンマークなどで花火の学校が設立されました。

この学校は花火に関する専門知識を有する花火師集団を形成させる為の場所だったそうです。

花火の技術は進んだ17世紀後半になると、花火に関する研究所やテキストもありました。

 

◇日本

日本ではいつ頃から花火を嗜んでいたという事が定かではありませんが、1447年5月5日(当初は文安4年3月21日)に浄華院で行われた法事後の境内にて「唐人」が花火だったと考えられている記事があるそうです。

 

その記事には竹で枠を作ったり、縄に火が伝わって行き来をするものなどがありました。

 

他にも手に持って火をつけると空中に飛ぶものもあったそうです。

 

合わせてこの時代は足利義教が途絶えていた日明貿易を再開させた事によって、

花火も日本に持ち込まれた

のではないかと考えられています。

 

また戦国時代には鉄砲や火薬が持ち込まれているのと同時に鑑賞用の花火も持ち込まれました。

こういった事もあり唐人やキリスト教宣教師といった外国人の手による花火の記録が多くあります。

 

1582年4月14日(当初は天正10年3月22日)にはポルトガル人のイエズス会の宣教師が聖堂で花火を使用したという記録があります。

これは大友宗麟がキリシタンを増やす為に盛大に行ったイベントとされています。

 

また1589年8月17日(当時は天正17年7月7日)には、伊達政宗は米沢城で花火の見物をしたという記事があります。

さらに1613年には徳川家康が外国人が行った花火を駿府城内で見物したという記録もあります。

 

時代が変わり、江戸時代には戦がなくなり花火専門の火薬屋が登場します。

花火は当時から人気がありましたが、幕府の命令により隅田川以外での花火は禁止されていました。

 

また花火の打ち上げ事故が多かった為何度か花火禁止令が発令されおり、江戸中で花火が全く行われなくなりました。

 

明治時代以降には格段と花火の質も良くなり、大正時代には青木儀作や廣岡幸太郎といった名花火師が登場しました。

 

昭和に入ると順調に花火の技術が発展していくのとは裏腹に、日中戦争などで停滞期を迎えます。

第二次世界大戦敗戦後の1945年9月に長野市の諏訪神社で花火が打ち上げられましたが、連合国軍総司令部により火薬製造が禁止されます。

 

しかし、3年後の1948年には日本側の強い説得により花火の消費を連合国軍総司令部から許可を得ました。

そして同年に両国川開きの花火大会が復活し、600発の花火が打ち上がりました。

観客は70万人だったそうです。

 

花火は国境を越えて様々な歴史があるという事がわかったかと思います。

歴史を遡るとどの国でも古来から馴染み深かったという事ですね。

 



花火の作り方って?

花火の歴史をご紹介しましたが花火の作り方はというのが気になる人もいるかと思います。

では気になる花火の作り方をご紹介します。

 

①調合作業

最初は使い道にもよりますが様々な火薬と炎色剤を調合します。

こちらの工程は特に注意して行われる作業となります。

炎色剤は赤、青、黄色などといった炎の色を変える薬で、これで花火の鮮やかな色を出します。

ちなみにこの炎色剤は色により入っている成分が異なり赤はストロンチウム、青は銅の化合物、黄色はナトリウムと異なる成分で作り出しています。

 

②星作り

星とは花火を構成する最も重要なところです。星掛け器という回転する釜のような道具を使って作っていきます。

 

③割火薬作り

綿の実などに火薬をまぶして作ります。花火の中心にある星を飛ばす為に大切な工程になります。

 

④組み立て作業

最後に組み立てをします。

まずは玉の半分の内側に完成した星を並べ、片方の中央に導線を挿し込みます。そして中央の切れ目に紙を詰めて1個完成です。

これを計2個作ります。

完成した2個を合わせます。

この製法はパックリ製法というものになります。

左右を一つに合わせたら、はみ出した紙ははさみで切りテープで仮止めします。玉ばりという花火玉の外側にクラフト紙を何重にも重ねたらできあがりです。

花火の作り方の工程を見た事ある人はわかるかもしれませんが、ものすごく過酷な仕事です。

もちろん火気厳禁なので慎重に扱わなくてはいけません。

この作業を専門に請け負う花火職人さんはすごいですね。

 



日本と海外の花火の違いは?

花火は花火ですか日本のものと海外のものの違いがあるのはご存知でしょうか?

もちろん歴史は違うのですが、その他にも違いがあるのでご紹介します。

 

○花火の形

海外の花火を見ていると、花火の形が違うという事に気がつく人も多いのではないでしょうか。

日本のものは鎮魂や納涼を目的とし、一般人に向けた花火である為高い位置で丸く開くようにできています。

しかし海外のものはもともと王族や貴族に向けたものであったので、お祝い事があると城で打ち上げをしていました。

また城壁を照らすという意味合いもあったので、低めに打ち上げられていました。

 

また花火は円筒の形をしており、上空で何段にもわけて開くというもので日本のような円の形をしていません。

 

○花火の作り方

日本の花火の作り方は先程紹介しましたが、海外のものは日本のものと作り方が若干異なります。

日本の花火の星は丸い形をしていますが、海外の花火は一種類の火薬を機械でプレスして作ります。

この為海外の花火は大きさによっては円筒に複数詰める事ができるという利点がある他、上空で何段にも花火が開くという特徴的なものもあります。

 

○花火を打ち上げる時期

日本については紹介しましたが、鎮魂や納涼の意味合いがある為、

お盆辺りの時期

に打ち上げられる事がほとんどです。

 

対して海外は国にもよりますが、キリスト教などの聖人に関するお祭りの時や年末年始といった特別な日に花火を打ち上げる事が多いようです。

 

最近では日本も夏場だけではなく、年末年始にも花火を打ち上げます。

海外は日本と比べると夏より冬に花火を打ち上げるという話も耳にします。

同じ花火でも作り方も違えば打ち上げる時期にも若干の違いがあるようです。

 



花火の【起源と歴史】や作り方|まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

夏といえば花火と思われていますが、国が違えば同じ花火でも形から文化まで違うという事がわかったかと思います。花火の作り方も違うというのは驚きでしたね。

今年の夏はただ花火を見るのではなく、色合いや花火の形はもちろん歴史を感じながら花火を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

 

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